子どもの本の森へ

図書館で借りました。おもしろかったので、覚書。

・今は子どもの本とされていても、元々大人のための本だったものがある。ロビンソンクルーソーや、ガリヴァー旅行記チボー家の人々など。

 

赤毛のアン、普通の家庭ではない。でも人々のコンビネーションで家庭をつくっている。普通の家庭は、不愉快な物語として描かれている。

 

・「ドラゴンを探せ」不思議なおばあさんが出てくる。他の人と全然、身振りや話し方が違う。みんなとちょっと違う世界を見ていくのが探偵。物事を観察して、少しの違和感を感じる。

 

・探偵物は、家の外、社会に、子どもを連れ出す物語。謎に満ちた外の世界を楽しむ。

 

・「子どものための美しい国」は、子どもの目から見た戦争をよく描いている。(戦火に見舞われた悲惨なこども、という描き方ではない)

善悪をパッときめてしまうのではなく、一つ一つの出来事を通じて、どう感じるか、読むものにとって考えさせるヒントが詰まっている。

子どもの国会を作っても、それがいかに難しいかをしっかり書いている。

 

・ピーターパンは無意識の住人。大人になれなかった純粋な少年ではなく、父と母を知らない子ども。母への愛がないと同時に、母からの愛も信頼できないと思っている。お母さんがいないから、大人になれない。

 

・モモ

学校では、話を聞く才能は、点数がつかない。評価されない。自分がしたことには点数がつくが、じっと聞く、「話をしない」には点がつかない。

自分のことがないから、話が聞ける。自分の歳さえわからない子ども。話を聞くことで、自由に話ができる人が作り出される。自由に話せる場が作られる

はてしない物語

どうしたら自分の物語が持てるかという話。

息子が家を飛び出し、父と本当に和解しようと思ったら、これだけの物語が体験が必要。

 

・フィリパピアス

日常がちっとも退屈じゃない。

現在は過去の総体。過去がノスタルジアの対象でなく、もう一つの現実。

 

子鹿物語

個と個の対話の上になりたつ家族の形。

感傷によって、「悪いのは運命だ。自分の力ではどうにもならない」で救われるわけではない。自分で色々考えて、自分で結末をつけなくてはいけない物語。

まず道徳があるのではなく、まず自然があり、その中に生活がある。

 

ゲド戦記

 

宮沢賢治

風の又三郎、季節の物語。死の世界と繋がっている。

銀河鉄道の夜、名付けの物語。言葉を拾っていく活版所アルバイターの物語。言葉でしかない観念を感覚体験する。

 

アンネの日記

思春期の女性の内面が客観化して描かれている。

人々は狭いところにいるから、頻繁に喧嘩をする。喧嘩はお互いを知る一番いい方法。喧嘩が上手にできるから、他人と一緒に生きられる。

無償の楽しみに勤しみながら、しっかり自己確認を遂げていく少女。大人を批判し、大人からペシャンコにされながら大人になっていく、対話的な世界。

 

・民話、トルストイ

人々の無意識の記憶をさっっと取り出す。普通の社会の価値観がひっくり返る世界。

文化や歴史の違う国で、にた民話がたくさんある。

昔話の魅力は、語り手が元の話を自由にデフォルメして再話することから生まれる。人間味、パッとよその世界に、連れて行ってくれる人が必要。普遍的なことも個別的に語れないといけない。

 

・魔法

社会に出ていくときに、個を失ってしまったら、入り込んでしまう。個を持って入っていかなくてはいけない。そんなことは魔法を使わないとできない。個と、みんなと繋がることの矛盾。

大人になれないから、困って子どもの世界に逃げ込むのが魔法ではなく、社会に参加する方法。

 

シャーロットのおくりもの

大人は自分達のおしゃべりに忙しいから、大事なことが起きているのに知らなくて、この子だけが知っている。その子どもは、物語の語り手としての自分を裏切らない。

 

指輪物語

喪失感、危機の物語。

森の中の生き物の価値観を、物語の中に引き出す。

ホビットは、いつも分かれ道で困難な方を選ぶ。希望は困難な方の先にしかない。その分かれ道で、どっちに行くのか本人にもわからないということがなん度も出てくる。答えがないところに出ていく旅の話。

ホビットは「正直なばかたち」何も持たない、絶望を知らず、どんなに切羽詰まっても軽口を叩いて憚らない。

勝ち負けでも、宝を得ることでもなく、せっかくの指輪を捨てにいくことが中心の物語。

 

・透明で、明るくて、隠れるところがない→逃げ場がない。どうしたって死角はある、ということを忘れる。死角があるから、「遊び、不要な部分」が必要。

・科学技術の場合は、言われた通りにしないと失敗する。これは、人間には適用できない。人間は不完全だから、それをカバーするための遊びが必要。

・「すべし」と「するべからず」

禁止は厳しいように感じがちだが、そのひと次第。それ以外は何をしてもいいことになる。「すべし」は肯定的なようで、縛られ、しんどさを背負わせようとする。

・「昼でも夜でも牢屋は明るい」「昼でも夜でも家庭は明るい」徹底的であることは苦痛。不完全さを進んで引き受けないと、どんどんしんどくなる。

 

・ぼくと〈ジョージ〉

対話というつながりの欠如。居場所がないというのは、つながりのないということ。