演劇入門

こちらは、目に入ったのは「飛ぶ教室」を先日読んだからでしょう。

図書館でペラペラめくっていると、最後の方に「なぜ子どもたちに演劇が必要なのか」という章があったので、借りてみました。

 

人は日常的にさまざまな役を演じている、というのは大学でよく聞いたことでしたが、

それを「本当の自分はなんだ?と悩んでいる場合ではないのです」とバッサリ切っているのが面白かったです。

真顔で冗談をいうタイプです。時々、テンションそのままでツッコミが書いてあって楽しいです。

宗教的祭礼とか、神なき祝祭とか、幻の共同体とか、儀礼的無関心とか、なんだか聞いたことありそうな単語が色々出てきます。

 

演劇をやっていると、就活で役立ったりバイトで重宝されたりする、というところは、いいなぁと思いました。声がよく通って、人間関係のトラブルに強く、揉めてもなんとかしてくれる人。そういふものに、私もなりたい。

 

この本では、映像との違い、小説との違い、そしてギリシア演劇の頃からの超アナログな演劇がなぜ残ってきたか、ということ、つまり演劇とは何か、ということがじっくり考えられ書かれています。

読んでいて思ったのは、これは残ってきた理由でもあるけど、同時に、今演劇に関心のある人が少ない、ポップカルチャーではない理由でもあるのだなと思いました。

より「多くの人に、速く、正確に」という情報伝達の部分とか、安さとか、構想から世に出すまでの速さとか、そういう元々は演劇が担っていたものを、他のメディアに譲ってきたから、

今はそういう「わかりやすい」「多くの人が求めているもの」から距離をとっている。

より演劇らしさを、他のメディアとの違いを出そうとしたら、奇抜なところとか、アートな部分(一般の人には、わからないだろ、というところ)を中心にせざるを得なくなる。

なんとなく演劇は近寄り難いような、専門の人が楽しむもの、という勝手な私の勝手なイメージがあります。

それは、ある意味仕方ないのかなとも思ってしまいました。

演劇を数えるほどしかみたことのない私の勝手な感想ですが。

 

そして、演劇の教育的機能。

・セリフをきちんと聞いて、読んで、(どう表現するかなど)話す。国語の基本的なことは、演劇で学べるというようなことがあります。音読劇や動作化の時に大事にしたいです。

・意見の違う人と、なんとか話し合って落とし所を見つける経験(これがコミュニケーション)。誰かの真剣は誰かの迷惑。時々思い出したい言葉です。

・シンパシーでなく、エンパシー。昔、「みんなが大体同じ」の世間の時代は同情が重要だった。でも多様化の時代は、自分と違う相手の感じ方で共感するエンパシーが重要という話。軽い同情は逆に反感を買う、という話へのわかりやすい答えになっているように思いました。カウンセラー的な役割をするときも、よく求められることでしょうか。

・他人を生きること。他人の言い方、感じ方、生き方を知ることで、他人と出会い、自分を見つめることになるということ。

 

 

○集会での話が詰まらないのは、これを話そうという構想を考えているだけで、その場で「感じる」ことをしていないから、という話。

同じ芝居でも、大笑いしてくれるお客さんがいると、俳優もよりいい演技ができ、成長させられるという話。

これは繋がっているのでは、と思います。

話す側の問題ですが、聞く側によっても話す側のうまさは変わる。

集会であっても、相手の話への反応とか、場合によっては話す人になったつもりになる、という想像を、私は子供の頃していました。

そうすると、聞いていても退屈しない。詰まらない話し方でも、内容的には子供にとって物珍しかったりする場合もあるんです。逆に、どんなに相手になろうとしてもちっとも面白くない話や人もいて。それはその人の構想や考えが不足していたか、私と合わなかったのだろうなと今思いました。逆に、話し方はとても上手でも、あまり大したことを言っていない場合もあるし。自戒ですが。

 

○ライブ感、ということ

セリフは言うものではなく、聞くもの、ということ。相手役のセリフを聞いたり、お客さんの反応を聞いたりする中で、反応として自分のセリフをいう。反応として、道具を出したり緞帳や照明の速度が変わるということ。これも、面白いし、私はこの「反応」が好きです。相手に合わせること、でも自分を殺すわけでもないということ。ポリフォニーだー!

吹奏楽部で中学3年の追い出しコンサートの時に、

「あなたは、このタイミング、というその瞬間しかない気持ちのいいタイミングで音を出す」と言ってもらったことがあり、嬉しかったので忘れられません。(ちょっとかなり脚色してると思います)

あれは、この反応、ということの面白さに近いのでは、と思います。

また、中学で職場体験に行った際、最後に感想を言う係になりました。

言葉は事前に決まっていて、グループで練習してから行ったのですが、

私はそのまま読まずに自分の感想を挟みました。そんな出しゃばりなこと、ちょっとしたことですが工夫をするなんて、私らしくなかったことです。でもどうしても言いたかったのです。

その場で考えた感想を言う時が、私は一番緊張した(いつものように耳が真っ赤になった)のですが、職場の方もその時は、じっとこっちを見て聞いてくれていました。

体験を終えてから、あまり親しくなかった同じグループの人に、「さすが」と言われたことを覚えています。

でも今思うと、さすがでもでしゃばりでもなく、当然のことだったのだなと思います。

体験をする前に考えたことをそのまま感想として読むのでは、違和感があるし、失礼です。

そう感じること、違和感を流さずに自分にとって自然な形で過ごすことは、大切にしなくてはと思います。

 

○アピールと、嘘くさい演技

演技が下手な人は、ない感情を演じるから嘘の演技になる。ない感情を、あるように取り繕うと、それは嘘の演技でもなく、嘘くさい演技になる。

これは、人との付き合いでも、そうだなぁと思います。難しい。

そして、アピール。話をする時に、「自分がどう見えるか」を切り離せないと、アピールになってしまう。

講演会などで、講師の人への謝意を述べているときに、講師の人がとても無関心な様子を見ることが多いです。これは、謝意を述べる人から嘘くささやアピールを感じてしまうからなのかなぁと思いました。

そして、私にとっても大敵と感じてしまう「自意識」。自意識を意識しないためには、その場合の状況に集中すること、と言うのはとても勉強になりました。

人が集中を向けられることには限りがある。集中を、必要なところにきちんと向ければ、余計なことを考える暇はないはず。

人と関わる仕事をする時には、もちろんその人の周りについても「考える」けど、その人自身や目の前の状況に意識を集中しきれるようになりたいなと思います。

 

○演劇は大衆の求めるものから逸れて奇抜な方へ行ってるのではなんて書いてしまっていましたが、「演劇入門」からたくさん、今までの自分や周りの人の様子を振り返って考えたり、自分の日常に活かせそうなことがありました。

演劇ってすごいのかも。