エーミールと三人のふたご

ケストナー3作目。

ついつい、読んでしまいます。

私は多分、ケストナーという作者のことは、あまり好きではありません。

でもその書いたお話は、とても面白いです。

 

話の大きな筋になっているところは、時代のためか私のためか、あまり馴染めません。

お母さんへの思いとか、友達への相談の仕方、おばあさんへの思いの吐き出し方、お母さんの息子への思いなど、なぜか共感づらく、サクッと読み進めてしまいました。

「お母さんはどう思っているのだろう」「自分はどうしたらいいのだろう」など深く考えるのではなく、「お母さんのためなら、自分が辛い思いをするのなんて、なんでもない!」という風に決めつけて、それをはっきり自覚しているところに違和感があります。

 

楽しく読んだのに、文句をつけてはいけませんね。

楽しいところは、まずはお話の細かい具体的なところです。

列車に乗って出かけて行くところが好きです。子ども(といっても、14歳ですが)が一人で、席に座ってサンドイッチを食べたり、これからいくところについて調べたりします。

その時に使うのが、地理の教科書というところが、身近で楽しいです。

イギリス人と思いわれた芸人に話しかけるのに、英語の辞書を持って意気揚々と近づくところも。

ホテルで働いているから呼び鈴でおこされることが嫌だとわかると、呼び鈴を鳴らさずに外で待っていたピッコロも楽しいです。そしてそれを、我慢して待っていたのではなくて、「ここはとても気持ちいいね」というところも素敵です。

子どもだけで過ごすために、まずは食料を調べてリストにするところも、なんだか身近で現実的な分、ワクワクします。

小島から出られないという時の、グスタフの頼もしいこと。役には立っていませんが、宿題をやっていないことをよかったと思ったり、ロビンソンクルーソーのような過ごし方を話したり。(実はちょっとワクワクしてたのでは?)

置き去りにされた子どもの手助けのための方法に、ポスターを描くというのも、すごいです。とても平凡な方法。でも、工夫すれば役に立つ方法。

映画を利用するのは、その分あまり素敵な方法に感じませんでした。

 

子供だけで過ごす機会が与えられた時(それは、与えられた自由だということも、とても感じました。だから安心して楽しめる)の、お父さんの、「だったら何日間か、誰にもちょっかいを出されずに、おのずと自分を伸ばしてみるかい?」という言い方も面白いです。

自由な時間を、好き勝手に過ごすのではなく、自分たちで考えながら大事に過ごそうという気になります。

理解ある言い方ですが、後半で奥さんに、「男の子たちの邪魔をしてはいけない、却って反抗的になる」と言っているのを見て、面白く思いました。理解ある行動は、子どものためでもあり、もちろん大人のためでもあるのだよなと。

 

おばあさんの、「自分は進んで大きな犠牲を払っているのに、それはおくびにも出さないで、人の犠牲をありがたく受け入れるのは、簡単なことではない。そんなことは誰も知らないし、誰も褒めてくれない。でもいつかきっと、そのおかげで相手は幸せになる」という言葉は、読んでいて緊張しました。褒めてもらうからじゃない、大人の行動。難しいなとも思います。

 

いつも悠然としている様子のお父さんが、「女性はすぐに虫の知らせだとかなんとか、言うものだね」「そんなものは、気分が落ち込んだ人がつけ込まれる、ただの妄想なのさ!」と言っているところも面白かったです。

この場合はお母さんの方が、たまたま正しかった。でも、お父さんはそれに気づいていない。気づいていない、大人の鈍さ、お父さんの鈍さが、でも却って子どもたちや、子どもたちとの関係には役立っているということ。鈍さは大切ということ?

 

これがドイツの話ということも、ところどころ感じられました。

海に行く時の地名、「バルト海で海水浴」ということ、最初の地図もありがたいです。

英語が外国語なこと。変わった苗字や職業名の苗字なこと、学校の名前や仕組み。

ゲーテが引用されていたり。でも夏休みの宿題や作文のお題は、今の日本と大差ないのですね。

 

他にも所々、「そうだよなぁ」と共感したり、なるほどと思ったりする箇所が出てきました。

 

エーミールの1巻と2巻の間に、跳ぶ教室などが書かれたこと、ナチス支配下ではこの本は出せず、戦争が近づいていた時代だったことなどが、訳者の後書きからわかりました。

 

また、他の本も読んでみたいと思います。